S級の視線 |
平田生雄 |
第13回 【基本とセオリー】 スポーツの世界に限らず、耳にする言葉である。 基本とは長年培ってきた技術であり、セオリーとは常套手段である。 随分、昔の話しですが私の心の中に熱く残っているので紹介します。 「基本とセオリーを忠実に守る事は、勝つ為の方程式では無いので敗戦も覚悟すべきである。」 棋界(将棋・囲碁)の方々と話す機会もありまして、基本・セオリーを上記の如く諭された時に、とても新鮮で驚きました。 基本・セオリーは、最初から存在する物ではなく長年培ってきた英知の結集であり変遷してきた副産物みたいな物なのです。 「セオリーを守って勝てる保証は無いに等しい。」 厳しい世界を戦って来られた大山永世名人の言葉には心地良い重さと響きが感じられました。 私も常々感じていた事でしたので心が震えました。 美味しい酒と肴に勝る「お話し」に酔っていたら、隣の棋士が大山名人を称して「名人の守りは名人だよ。」「??」 ヨッシャーとばかり、サッカーの守備について薀蓄を語りましたら名人がポツリと「備え有れば憂い無し」「??」 実を言えば、これ以上お話しを聞けなかったのですが後年になって名人が絶体絶命のピンチを迎えた局面で泰然自若として盤面を見据えて挑戦者の加藤八段が悶々としている場面をTVで観る機会が有った。 結局、押されっぱなしの大山名人が勝ったのですが「あの守りは攻められるより辛かった。」何気無く打たれた[歩二枚]が勝敗を分けたとか。 語り継がれる「守りの駒は美しい」を知るまでに数年を費やした。 基本とセオリーを無視してはいけない、そして頼ってもいけない・・・ 何事にも懐疑心を持てなくなった時は、プロとしての感性・気力・自覚をも失われた事を意味するのです。(大山名人談) 牛乳瓶の底に似た眼鏡を曇らせて湯豆腐をフーフーしている姿からは想像も出来ない稀代の勝負師を[Sの目]で紹介してみました。 |