S級の視線
                                    平田生雄

 第16回   【勝っても負けても


 スポーツ指導に携わる者には判りきった事かも知れませんが、選手共々解っている様でも、勝った時に反省は出来ないものです。
同様に、負けても良いプレーや収穫も多いと思いますが「なぐさめ」にしか聞こえないものです。


 誤りの分析でも話していますので詳細は割愛しますが、選手が聞く耳を持っている時に「的確な判断で指摘出来れば」効果は大きいものです。
これは、簡単でも易しくも無いのである。
判ってるような事だけど「平田君、あなたには出来るの?」って聞かれたら「出来るかも?出来ないかも?」が正直な答えである。
何故なら何度かチャレンジしてみたけど、上手くいったケースは半分も無いかも知れないからである。
 

 そんなこと、ど〜〜でも良いじゃん。 そ〜〜かも知れないな。
 

 勝ち負けに齷齪(アクセク)している指導者には判らないかも知れないけど、人生でもサッカーでも勝たなければならない相手は、対戦している相手では無くて「目に見えない自分か自分達」なのである。
 だから、明日は今日より良くしたいと思えば[勝っても負けても]反省と収穫を自己改善の為に「記(シル)しておく」が大切なのです。
 

 老婆心かも知れないけど[出来る者と出来ない者]の分岐点は、こんな所にも有るのです。
何故なら??
人は普段、才能・体力・技術・知力・運の5〜7%しか[頑張り所]で発揮していないからです。(真偽の程は割愛しますが、そうらしい。)
 私が才能の前に努力を優先する理由もその辺に有る・・・


 それは、差し置いても「的確な判断と指摘」が迷える患者に効くならば、即効性は無くても指導者なら一考の価値有りと思うのですが。
そんな、大げさに言うことですか??・・・
そうですよね、そんなこと取り上げなければ平和なのですから。
それが苦痛に感じるなら指導を辞めるべきであり、それを喜びに感じるなら指導される選手が喜びを共有出来るのです。

                                      【生の手記より】