S級の視線 |
平田生雄 |
第21回 【教わらない学習】 「教えない・教わらない民族」の存在に興味と驚きを感じました。 子供の頃から、何事も見様見真似で覚えなければならない環境で育っているので 「明るさと逞しさ」を感じます。 例えば、彼らを3日間車の助手席に乗せただけで、即座に運転が出来るようになる事にも驚きますが、観察力と創造力に優れているのは「生きていく術」が自然に身に付いているのだと思えてならない。 これが「習得の極意である」とは言いませんが[教わらない学習]から学ぶ事も多いのではないだろうか。 私も、サッカーに限らず「習得の手法」としては、教え方と教わり方の「工夫と姿勢」で解決出来ると思っている一人である。 当然、何事にも習得に適した時期は有るのですが、試行錯誤や創意工夫する時間は決して遠回りではないようであるし、習得のプロセスを考えれば一見無駄に思える事も大きな財産なのかも知れません。 勘違いして欲しく無いのは、形を取り入れるだけでは何も変らないのである。 そのような環境で育っていない我々にはフラストレーションにもなりかねない。 「ゆとり教育」とは、このような姿勢で取り組むことかも知れませんね。 |