S級の視線
                                    平田生雄

  第27回   【Legend=宮本輝紀
 
 
サッカーを肴に語り合うのは楽しいもので、とりわけ好みの選手やプレイ等に話が及ぶと時の経つのも忘れてしまうものです。
自分が、その場面に居たような錯角と陶酔に浸って「思い出の名場面」にタイムスリップして語り始めると、お気に入りの[Legend=伝説の名手]に出逢えるのである。


 今では考えられない事ですが、日本サッカーリーグの創生期には高校のグラウンドを使っていましたので、臨場感に溢れた激しいプレイが見れました。
広島で生まれ育ったので、創生期の東洋工業の5連覇は殆ど観戦しましたが、好きな選手は八幡製鉄(新日鉄)の宮本輝紀選手であり、私にとって日本人選手で[Legend]と言える最初で最後の人である。(宮本輝紀=テルさん)


 広島の高校選抜に入った時に、東西対抗(オールスター)が広島市民球場で開催され前座試合に出場した時に「平田のプレイは輝紀に似とるのぉ」協会関係者の言葉に「私の手本はテルさんです。」と、答えるのが精一杯であったが、褒め言葉(?)に感激したものです。
 テルさんと練習出来る機会が有る度に、ウォームアップの時から纏わり付いて一緒に練習させてもらったもので「生は、しつこいのぉー」と笑いながら付き合って下さった。
 ベッケンバウワーと「パス&ゴー」の練習をした時は「手で投げるより正確じゃった」と無邪気に笑いながら再現してくれ、10数メートル離れた私の足元に「投げた?」パスを何度も再現して見せてくれた。「簡単で完璧」に見えたものである。


 私が、上手く出来ると「試合で使えてなんぼのもんよ」と無邪気に笑うだけである。足元に吸い付くようなトラップと、欲しい所に寸分の狂いも無く「投げる」パスは絶品で、背筋の伸びた「立ち姿」の一挙手一投足まで真似たものである。
 「生よ、真似るだけじゃつまらんぞ、自分の型を作れぇよ」会う度に言われて、越せない達人でした。
 「生が強いのは酒だけじゃのぉ」は酒席でのテルさんの口癖でした。


 「稀代の名手」も黄泉の国に旅立ちましたが、心の中には「テル」さんの笑顔とプレイが鮮明に残っている。
 そして今でも「走馬灯の如く」蘇える。      [2000年2月2日・享年59歳] 


                             【生】の達人列伝[宮本輝紀]より