S級の視線
                                    平田生雄

 第37回   【Common Sense


 サッカーは選手が接触する機会の多いスポーツであり、白熱すれば激しさも増してきますし結果として、選手達は傷害との戦いを強いられるのである。
 その昔、「荒くて激しいスポーツ」がサッカーのステイタスであるかの如くプレイヤーも観衆も、それを容認していたようである。


 世界で最も愛されているスポーツ(サッカー)の荒廃と低俗化を憂い、ルールを判りやすく図解を織り込んで編集し、フェアプレーの精神を謳われたのが、スタンレー ラウス氏である。(1961年にFIFA会長就任、後にSirの称号を受ける)
 サッカーのルールは17条に判りやすくシンプルにまとめられている。
そして、スタンレーラウス氏が提唱されたルールには(18条)有ると語られた文献を読んだ時に、スポーツの真髄に触れたような清々しい気持ちになりました。


 18条 [Common Sense] ※ 直訳すれば「常識」ですが、ルールブックには明文化されていませんので、調べてみて下さい。


 それまでの、試合内容と比較すれば1970年のMexicoW−CupはFairな大会であったように思えるし、それ以降のW−Cup等の国際大会を契機にしてルールやレギュレーションが整備・改善されて現在に至っている。
 時代の流れと共に、当時では思いもよらない事が現実問題として発生するので、ルールの変遷でサッカーの歴史と進展を垣間見る事が出来るようです。


 話は変わりますが道路交通法が11月1日に改訂され、運転中の携帯電話の使用に関する罰則が加わりましたが、まさに時代が生んだ副産物と言えるでしょう。
しかし、ルールでの規制や罰則の強化だけでは[現実の改良]にはならないようで「運転者の心構えが大切」であり、サッカーも然りである。


 世界中のサッカーがTVで見られる時代になりましたが、激しさの中に醜いプレーが映し出されると、心が寒くなります。
 リスタートでのポジション争いやユニフォームの引っ張り合いは、以前より醜さを増したように思えるのは私の錯覚でしょうか。
マラドーナやペレが醜いファウルのターゲットにされた場面を何度も見ましたが選手寿命を縮めるような行為は、絶対に許されない事と思っている。


 サー
スタンレーラウスの憂いは、未だに解消されていないのが現状であり、交通事故や違反も、法改正だけでは減らないとすれば「お手上げ」なのでしょうか。
 FIFA・JFAも研修等でフェアプレーを推進していますが、草の根運動と同じようにサッカーの出会いからフェアプレーの精神が芽生えれば、変わるのではないかと思うのであるが難しいことであろうか?


 スポーツ指導の基本理念として、18条【Common Sense】は不可欠であり誰にでも理解できる事であるが、現実は変わらないようです。
 変わらないと思える[現実]を変えるのは、変わらない日々の活動を[改善]しなければ何も変わらないものです。

 身を呈したスリリングな攻防や接触プレーを否定するものでは無いし、不可抗力による負傷は防ぎようの無いものであるが、サッカーから【Common Sense】が失われてはならないのである。


 サッカーが豊かであって欲しいと願うものであり、それを「良識」と訳して常に自分自身にも言い聞かせるようにしているが忘れてしまう事も多い様である。


                                 【生】のメモ「18条」