S級の視線
                                    平田生雄

 第38回   【Play Enjoy

 スポーツの本質は「Playを楽しむ事」であり、楽しくなければプレーしても見ていても興味が削がれるし長く続けることも出来ないものです。
 しかし、現実的には競技スポーツは勝敗や記録との戦いになってしまうので、そんな悠長な「理想論」を語っている暇は無いようである。

 公園でサッカーゲームに興じる光景や少年達のスキルトレーニングを見る限りでは、プレーする楽しさが伝わって来ますが、大会ともなれば「聞きたくない言葉」が飛び交い子供達は必死の形相でプレーしているのに、プレーする楽しさが伝わって来ない場面に出会った経験は有るのではないかと思います。

 試合で勝敗に拘らなければ問題は無いかと言えば、そうとも言えないようで大会に出れば勝利を目指して頑らなければプレーする意義が薄れてしまうものです。
 「大会や競技会は参加する事に意味がある」とも言われますが、全力を尽くして自らを試す為に参加する姿勢や心構えを持つ事でPlay Enjoy出来ると思っています。


 「勝負に拘るサッカー」「蹴って走るだけのサッカー」等々・・・ 試合に敗れたチームの常套句で有るかの如く、よく耳にする言葉であるが対戦チームの指導者の姿勢と資質に対する「捨て台詞」であり、勝者への評価には程遠い言葉である。
 裏を返せば「勝負所で踏ん張れない・蹴れない・走れない」とも聞こえるし、自らを素直に反省と分析する事が[向上と改善の鍵]であると思えるのであるが・・・
 選手は自分のプレーに不満が有ると勝っても喜べないし、ミスの原因や欠点についても腹立たしい位に解っているものですが、指導者に指摘されても習得や改善を意欲的に取り組むのは難しいものです。


たとえば、親が子供に「部屋をかたづけなさい」と何度言えば出来るようになる?
 散らかった部屋でも快適であり何も不自由に感じないし、かたづけた利点を感じていないので、口うるさく言われたらウンザリなのでしょうね。
 「かたづけなさい」の言葉でかたづけてしまわないで、幼児の頃から親と一緒に楽しくかたづける事を覚えるのが、身に付く躾であるといわれます。


 [鉄は熱い内に打て]と言われるように、何事にも興味を持つ時期に楽しく身に付けば、後々で面倒な遠回りはしなくて良いようです。
 とは言っても、試合で負け続けている子供達に意欲的にトレーニングさせるのは
困難を極めるもので指導者も打つ手が無いのが「本音」かも知れませんね。


 サッカーのみならず「勝利の方程式」が存在するとしても、それを子供達に導入する事を望む指導者は、はたして何人いるのでしょうか?
勝つ事を優先してプレーする楽しさを失うとしたら、どちらを選ぶのでしょうか?
勝っても負けてもスポーツは楽しいと感じられるのが健全であり、勝って喜び負けて悔しいのが精一杯戦った証であると思えるし、スポーツに「それ以上の楽しみ」を求める必要性が有るとは思えないのである。  


 プロフェッショナル論や技術・戦術論にも【PlayEnjoy】は大切なKeyFactorであり、そうでなければ子供達が[プロへの夢]を抱く筈が無いと信じている。
 勝敗に一喜一憂するより、子供達が楽しくプレイ出来ているかを見守れるなら指導の手法や改善の手段が見出せるものです。 いつもの事ながら「そんなに大袈裟な事か?」と自問自答してみると、いつも些細な事で「悩んでいる。」ようである。
 言い古された言葉であるが「楽しくなければスポーツじゃない、楽しめないならスポーツじゃない。」