S級の視線
                                    平田生雄

 
 第42回  【Egoist】


 
嫌悪感の有る言葉であるが、私の感覚では「褒め言葉」なのです。
ヨハン クライフ [ Hendrik Johannes Cruijff] 彼の存在感を一言で表現すると【Egoist】という言葉が浮かんでくるのである。


 1970年代に旋風を巻き起こしたオランダサッカーの象徴であり、トータルサッカーと名づけられた自由奔放にも見えるプレーは当時としては斬新なものであった。
救世主・スーパースター・空飛ぶダッジマン、等々の称号で呼ばれた[14]番であるが【Egoist】が一番似合うのではないかと思っている。
 彼の選手・監督としてのキャリアについては今更、語る必要もないと思えるがプレーだけでなく言動も我々の尺度では測れないようでもある。


 両刃の剣に似て、順風満帆に航海している時はリーダーとしての存在感は絶大なものであるが、一歩間違えれば独裁者の如く批判の的にされてしまうのである。
 彼の残した功績は誰も否定するものではないのであるが、彼に対する評価は二分してしまうようである。私は個人的には「是」であり、アヤックス育ちの色白で華奢な選手のサクセスストーリーに憧れたものであり、指導者・監督としての資質も非凡であると認めている。


 彼と比較される人物はフランツ ベッケンバウアーであり同世代のライバルとして、凌ぎを削った訳であるがベッケンバウアーには【Egoist】の香りすら感じさせない風格が有り、ドイツの皇帝として君臨しているのである。
 奇しくも、W−Cup‘74のFinalは永く語り継がれるものであり、敗れた闘将クライフはスーパースターと評価されつつも「Superの上にChampionが居た」と語った瞳の中に【Egoist】を見る思いで背筋が凍るような感覚に襲われたものです。


 当時としては考えられないような出来事といえば、アヤックスの最大のライバルでもあるフェイエノールトに電撃的な移籍をしてリーグ優勝を置き土産に選手としてのキャリアを終えたのも【Egoist】の面目躍如と言えるかも知れない。
 好むと好まざるではなく、自分自身に持ち合わせていない才能と資質に尊敬の念を禁じえないからに他ならないのであり、如何なる評価より【Egoist】と言う「褒め言葉」しか私には浮かばないのである。


 デイェゴ マラドーナも釜本邦茂も然りであるが【Egoist】とは言い難く、似て非なるスーパースターなのである。
 あえて挙げるとすれば ミシェル プラティニ に【Egoist】の香りがするように思えるが彼を評して使う言葉としては適切ではないと思う。


 いずれにせよ、サッカー界に燦然と輝く【Legend】を一言で表す自分がEgoist に思えてならない。(文中、敬称略)


                      【生】のメモ【Legend】ヨハンクライフより。