S級の視線
                                    平田生雄

 第43回   Imagination


サッカーに長く携わっていて「何かが違う」とか「何か足りない」と感じた経験は、誰しも有ると思うのですが明解な答えが得られない事が幾つか有ります。


 サッカーの指導で難しいのは技術や戦術を教える事だけではないと気付くまでに何年も費やしたように思うが 【 Imagination 】 に関しては前述の通り、明解に答える事の出来ない課題である。
 世界中の名手達の回顧録をみると、子供の頃からサッカーに親しみ遊びの延長線上から夢を叶えたものであり、特別変った事をしていたわけではない。
 とりわけ、今の日本は彼らの幼少時代から見れば羨ましいと思える位に、条件と環境は整っているように思えます。


 日本は、J−リーグ発足を契機に世界のトップレベルに一歩近づいたと思うのであるが「何か違う、何か足りない」という疑問は、いまだに払拭出来ないのである。
 一瞬のプレーだけを取り上げればジダンのボールタッチやマラドーナのドリブルは非凡であるが繰り返して観察すると出来そうな錯覚を覚えるものです。
 確かに“ミラクル”なプレーには、ときめきや驚きを隠せないが、サッカーの根底に有るイメージが「違う・足りない」と感じる訳で「何が違うの??」と聞かれて「明解に答えられない」ので堂々巡りしてしまうのである。


 「サッカーの歴史が違うから・・・」とか「民族的な思想と発想の違い」等々の有益な意見を参考にしながら「指導に活かせる良い手法は無いものであろうか?」と頭を悩ましても「無形の要素」を指導・改善するのは「愚かな行為」のように思えるのである。サッカーを少し位、知っているからといって、何でも教えられると思っている「愚考と愚行」を自分自身に対しては戒めているつもりである。


 【 Imagination 】 に限らず「神聖な領域」は個々が磨き上げて行くプロセスで形成されるもので、機会や環境も大切なファクターなのでしょうね。
 我々がサッカーをやり始めたのは「サッカーが好きだから」ではなかったわけであり、非合理的な練習も黙々と頑張り、先輩との上下関係に神経を擦り減らした経験をされた方も多いのではないでしょうか。
 ストリートサッカーや広場で「日の暮れるまで遊んだものさ」という経験は持ち合わせていないし「サッカーは遊びだから仲間が集まればゲームになるし一人で出来る遊びも沢山あるから退屈はしないよ。」
 ブラジルから来た多くの友人の話を聞くと「サッカーとの出会い」からボタンの掛け違いをしていたような気分になったものである。


 日本のサッカーも世界の仲間入りをしたと言われるように、日本代表はアジアのトップレベルに登りつめ、各カテゴリーでも着実に成果が表れている。
 残された課題は多くは無いと思われるが【 Imagination】のような「神聖な領域」なのかも知れない。

                          【生】のメモ「サッカーの疑問」(2)