S級の視線
                                    平田生雄

 
 第47回   Naturalist


  自然を愛する人の心は、汚れ無く透き通っているように見えます。
【 Naturalist 】の理念と活動を垣間見るだけでも、汚染されている自分が浄化されてゆくようで清々しい気持ちになります。
 産業の進歩は人間社会に計り知れない恩恵をもたらしていますが、同時に自然を犠牲にした産物で有るとも言えます。
 我々が知らない内に生態系が変り、失われた自然は元通りには戻れないようで[歪んだ自然] が生まれてくるようです。


 豊かになる為の人の営みとはいえ、環境破壊のような開発は如何なものであろうかと空しい気持ちになるものです。住み良い環境とは豊かな自然との共存であると「理想的な理念」だけでは解決出来ないものですが「地球は人間だけの物」ではないのです。世界中の森林は年々減少して砂漠化した土地が増えているとか、オゾン層の破壊と地球の温暖化 etc.深刻な問題のようですが我々の生活には目に見えて影響が感じられないので「そんな事どうでもいいじゃない」なのでしょうか。


 C.W.Nicol
この名前を聞いて、ご存知の方も多いと思いますが失われていく自然を憂いている【 Naturalist 】であり森の賢人である。[Afanの森] は C.W.ニコル氏 が長野県で荒れた放置林を自然林として蘇生させた聖地である。   [Afan=風の通るところ] 鮭の生態を綴った、氏の代表作である
 「森と海からの手紙」やエッセイ集に目を通すだけでも、自然の輪廻の偉大さに出会えたようで心が洗われます。


 サッカーと長く付き合っていると知らず知らずの間に自分自身が [歪んだ自然] に浸かっているのではないかと自問したくなるものです。難しい事ですが、自分を疑ってみる事が進歩と改善の鍵であり汚染されているかも知れない心身を蘇生させる良い機会であると思うのです。
 子供達の成長を願い、良い指導をしたいと思う「私の指導理念」が自然ではないと感じられ自己嫌悪に苛まれる事も少なくないのである。
 最近の子供達は遊びも考え方も「自然じゃない」と感じる事も多いのですが、汚染されているのではなく「自然を知らない」だけなのです。野菜や果物がスーパマーケットで採れると錯覚したとしても自然と触れ合う機会が無ければ不思議ではないのです。サッカーの指導に限らず、子供の成長に欠かせない栄養素は「自然」であり、指導にも活かす事が出来ないものでしょうか。サッカーが特殊な活動ではなくて、自然との触れ合いのように楽しむ事が出来れば良いと思いますが現実は [歪んだ自然] なのかも知れません。


 【 Naturalist 】には何も難しい事ではないようである。観察して自然では無い違和感があれば自然に戻す努力を惜しまない事ですよと諭されるのであるが「そうですね」と肯いて答えが導かれるものではない。
 C.W.Nicol 氏 は笑って答えるのでしょうね。「貴方が自然に戻ることが出来れば何も難しいことではないのです。貴方にもAfan があり、貴方も自然の一部なのです。 少しの努力で楽しくなるものです。」


【 Naturalist = 指導者 】 努力してみる価値はありそうですね。


   http://www.afan.or.jp/  (06.10.7 変更)
                                          
                 【 Naturalist 】 への憧憬より