S級の視線
                                    平田生雄

 第51回    Analog


 古い柱時計は「ゆっくり時を刻む」のが良い。


 現代社会は、せっかちに思えて自分が時代に取り残されているような錯覚をしてしまうものですが、時は「いつの時代」も同じテンポで刻まれているのが良い


 人を「AnalogとDigital」に二分すると、我々世代の中年男性のほとんどがアナログなタイプらしい。 血液型や星座で決め付けられるような占いは好まないのですがアナログと言われても妙に嫌な気分にはならないものである。


 今更「AnalogとDigital」の定義を語るつもりは無いのであるが文章はキーボードを打つより手書きに限ると思うし写真よりスケッチで情景を描くのが自分の手作り感覚や手作業を楽しめると思っている。   デジタルを否定するものでは無いし「情報の処理能力」は手作業とは比較にならないし、デジタルの良さを理解して活用出来るようにしたいと思っています。  世界中の欲しい情報が即座に取得出来るので図書館や百科事典が少し遠のいてしまったようです。


 サッカーもPCDVDを利用すれば編集や活用範囲も広いので「便利になった」と実感していますが技術の習得や指導による改善は依然としてアナログな手法に頼っているのが現状である。 


 トレーニングは焦らずに「ゆっくりと理解して学ぶ」のが良いし試合で多くの仲間と喜びや悔しさを分ち合えるし、次の課題を乗り越える為のチャレンジは愉しいものであり、何よりも指導者がのんびりと構えることが肝要である。


 話は変わりますが、FIFAはサッカーボールにマイクロチップを埋め込みハイテクを駆使してゴール判定をするらしい。  ハイテクの導入には何となく味気無さを感じてしまうと同時に‘66年のイングランド大会決勝の「疑惑の決勝ゴール」が、脳裏に浮かびましたが歴史に残る判定は、もはや議論すべきではない。


 勝敗に直接関わる判定であるから導入も止むを得ないのでしょうが人の眼と心で判定していたからヒューマニズムの暖かさを感じる事が出来たのであり、サポーターにとって格好の「酒場の肴」でもあったはずである。

 確かに、記録を数字で競う種目はハイテクの導入により、ミクロの判定が可能になりました。  大相撲でも行司と四方に審判員が配置されているにもかかわらず微妙な判定はビデオに頼る場面もあるようです。


 時の流れや科学の進歩を否定するような「頑固なアナログ思考」に拘る訳では無いのですが繁栄の裏に失われるものが有ることも忘れてはならないようである。


 のんびりと時を忘れて歩いていると失いかけた感動が蘇えることもあるので世俗から離れて見つめ直してみるのも一考である。 


 至福の時は短く感じるし辛い時は長く思われるのであるが、時はいつも同じテンポで刻まれているのが良い。