S級の視線
                                    平田生雄

 
 第58回    なりたい子供


 誰もが少年時代に憧れたスポーツ選手は居るもので、日本の中年男性の大半は長嶋茂雄を筆頭にプロ野球選手であった。


 東京オリンピックが開催される以前の日本ではプロ野球以外にTV放映されるスポーツは皆無に近いものでありサッカーは天皇杯と国体の決勝が放映される程度であったように記憶している。


 日本サッカーリーグ[JSL]が発足した当時もTV放映は年間に数回だったと思いますし高校のグラウンドで開催されたりしていましたから観客動員も関係者+α程度だったのも頷けると思います。


 そんな時期に来日した、元プロサッカー選手のセルジオ越後氏(以下:敬称略)と共に30年近く一緒に仕事をしていますが、彼の視点・論点は実にユニークでありジョーク(駄洒落)も乱発しますが、最も影響を受けた人である。


 当時の彼は、日本のサッカーを評して「違うスポーツをしているように思えた」と語り「プロサッカー選手に憧れる子供って少ないだろうな。」これは我々がサッカー教室を始めた頃だから20数年前の話である。


 当時のブラジルには10万人以上収容出来るサッカースタジアムが3ヶ所も有ったそうですが、何故あんなに巨大なスタジアムが必要なのかって?「なりたい子供となれなかった大人」が観戦する為だよ。(注:マラカナン・モルンビー・ミネイロン)


 いつもこんな調子で、何気なく語る言葉には不思議なエッセンスが隠し味のように効いているのです。


 ブラジルのサッカー人口って? そんなの簡単だ、50%近くは居ると思うよ。


 嘘でしょ?「後の半分は女性だけどね。」こんなのは日常茶飯事である。(笑)


 確かに、日本にJ−リーグの気配も無かった頃に「プロサッカー選手に憧れる」子供は皆無に近いし観客席に【なりたい子供】の姿は数える程であった。


 セルジオの発想は非常に判りやすい論法がベースになっていて、サッカー教室の全国展開も「日本にサッカーの田植えをしよう。」っていう発想から【なりたい子供】が自然に増える環境づくりに着手したのです。


 当初は我々のサッカー教室の理念を理解してもらえず、イライラしている私を見てセルジオは「焦る事ないでしょ、誰も手を着けなかった事にチャレンジしているのだから、楽しまなきゃ良い仕事は出来ないよ。」諭されて我武者羅に走り廻っている内に20数年の歳月が過ぎて行った。


 歳月は日本のサッカーを変えたようであり【なりたい子供達】も以前とは比較にならない程に増えてきたようですが、普及と育成は強化以上に大切であることを忘れてしまうと「元の木阿弥」である。


 そんな話をセルジオは「豊作しか興味の無い人には田植えの苦労は判らない」多くは語りませんが理解していただけるでしょうか。


 「田圃と苗代が田植えの基本、美味しいワインは良い葡萄から」人の愛情と水と太陽が豊穣の時を与えてくれるのであり、人の英知を結集して改良と改善の面倒くさいと思われる作業を繰り返す事で豊穣の喜びを共有できるのです。


 貴方も出来る事ならもう一度【なりたい子供】に戻りたくありませんか?