S級の視線
                                    平田生雄

 第61回   Captain


 長くサッカーを見つめていると、多くの名手や名場面に出会うものであるがチームの柱として欠かせないキャプテンに焦点を合わせてみました。


 欧州最優秀選手にリバプールの若き司令塔スチーブン・ジェラードが選出されましたがユニフォームを脱いでロンドンのビジネス街をスーツ姿で歩いていたら「彼が


 リバプールのキャプテン」である事に気付く人は少ないのではなかろうか。


 貴方が初めてアンフィールドで観戦したとしたら「Who is Captain?」と聞かれたとしても答えは試合を観ていれば自然と導かれると思われます。


 目を見張るようなスーパープレーや派手なアクションもしないけどチームの為に何をすべきか身を持って示してくれる男である。


 ACミランのカピターノ(Captain)は言わずと知れたパオロ・マルディーニであり「ACミランの旗」とも称されたジャンニ・リヴェラのミランでの出場記録(501試合)や、イタリアの名GKとして一世を風靡したディノ・ゾフのセリエAの出場記録(570試合)を更新して鉄人ぶりを発揮している。


 彼のサッカー人生はACミラン一筋であり現監督のカルロ・アンチェロッティとチームメイトであったし代表引退後もACミラン忠誠を誓い全身全霊を捧げて戦う姿には頭の下がる思いである。


 同じACミランに所属していたフランコ・バレージに関しては私がコメントする必要も無い偉大なるカピターノであり知将アリーゴ・サッキの申し子でもあり‘94年の決勝戦は後世に語り継がれる死闘であり、ロマーリオやロベルト・バッジョを主役の座から引き摺り下ろしてしまったようでした。


 ‘66年、ウェンブリーでのイングランド初優勝でスウィーパーのポジションを確立したのがボビー・ムーアであると言われ、この大会はジェフ・ハーストの放った疑惑の決勝点が語り継がれますが ’06年のドイツ大会からは皮肉にも疑惑は解消されるようですね。


 W−Cupの名勝負を挙げるとすれば‘74年の西ドイツvsオランダは間違いなくノミネートされると思いますがフランツ・ベッケンバウアーがゲームクリエーターからリベロとして変身を遂げた大会でもあり、同時にスウィーパーを過去のポジションとして葬り去り、リヌス・ミケルスが誇るトータルサッカーの申し子と言われたヨハン・クライフに敗者の弁を吐かせたのである。( ※ 42話 参照)


 脳裏に浮かんでくる Captainをランダムに選んでみましたがキャプテンシー については今更、語る必要も無いと思いますが「似合う男」と簡潔に答えるのが一番似合っていると思います。


 腕章の似合う人物は、多く居られると思いますが何故か日本の主将が浮かんでこなかったのは自分の狭量を痛感せざるを得ないようである。


 もし Captainという呼称が似合わない人物が居るとすれば [ Please call me Captain ] と自信満々に自己PRしてスポーツ界を見下している某サッカー協会の会長かも知れない。


 FA = イングランドサッカー協会が、総ての組織の下に位置する事で「サッカーの母国」を長い低迷から脱出させた功績を引合いにするつもりは無いが[ Please call me Captain ]と語るような「愚」を恥と知るべきであろう。


 Captainとは縁の下の力持ちであり「似合う男」が付けているから腕章は輝いて見えるものです。