S級の視線
                                    平田生雄

 第69回   高校サッカー 一考察


 「高校サッカーを変える?」こんな見出しでスポーツ紙に報道された今年の高校サッカーでしたが異様な感覚を覚えました。


 確かに野洲高校の自由奔放でスキルフルなプレーは楽しく見えるし次の一手に定石の無いような展開をワクワクして観られた方々も多かったようであるが高校サッカーにおける革命的な出来事でもなかったように思います。

対戦相手は名将の誉れ高き松澤隆司監督率いる前年度優勝校の鹿児島実業高校ですから選手や監督だけでなくマスコミを発奮させる条件も揃っていたようです。


 高校サッカーの歴史は取りも直さず日本のバロメーターでもあり少年サッカーの普及によって地域格差も無くなり関西から首都圏での開催地変更に伴い予選決勝がTV中継されるようになり高校サッカー選手権が他の大会とは比べようも無い格別の物になってしまった感が有ります。


強豪チームへのサッカー留学とか青田買いのような引き抜きも取り沙汰された事もありましたが学校の方針や指導者のエゴが見え隠れしたとしても高校サッカーの発展には貢献したようにも思われます。


 全国大会の常連と言われる高校は100名を越す部員を抱えて週末には専用バスで遠征や練習試合を消化するのが定番のようである。
 そのようなチームでレギュラーの座を勝ち取る為には必然的にミスを許されないし自由で創造性豊かなプレーを望むのは難しいかも知れない


この年代を二分化していたのがクラブチームの存在であるが以前も指摘した通りクラブチームの創生期は多勢に無勢でありスキルフルで個性や創造性を活かした育成も、あまり評価されなかったようでクラブ育ちの選手が陽の目を見る迄には紆余曲折が有ったのである。


 クラブチームの増加と力量も伯仲して[J−クラブ]の参入によってユース年代は一気に活性化されプリンスリーグが創設され日本ユース選手権は[U−18]のチャンピオンシップである筈ですが人気は高校選手権の比では無いようです。


 サッカーに携わる者やサポーターでもサッカーの良し悪しは見分けられる筈であり育成段階では勝負だけでなく内容や個々の資質を向上させて欲しいものであるが現実的には「そんな事は百も承知している」とお叱りを受けるかも知れないし勝利の方程式には「そんな悠長な事を言ってる暇は無い」のかも知れない。


 野洲高校の選手に限らず優秀な才能を持ったユース年代が日本の将来を担っている訳でスキルやアイデアの大切さを再認識させてくれたと思うし、選手達には驕ることなく次の目標や自分の夢に向かって頑張って欲しいと願っています。


 野洲高校のサッカーと選手達のパフォーマンスは評価しているし夢と感動を「ありがとう」と感謝していますが「この年代であの程度のプレーは出来て当たり前だよ」と感じている先進国の肥えた眼もあるのです。


 それより育成世代の大会が国立競技場で全国放送+満員の観衆で行なわれる事に驚きを覚えたようで「高校生の試合なのにJ−リーグより観衆が多い??」・・・ 視点が変われば感じ方も違うものですね。


 ともあれ、選手ありきと思うしユース年代の指導者は育成プロセスの一翼を担っているのですから指導者のエゴや色に染めるより持っている選手の将来性や能力開発に注ぐべきであると再認識した次第である。