S級の視線
                                    平田生雄

 第70回    Sparta


 近代的なスポーツ指導では死語になりつつある言葉ですが不要では無いと思っている指導者は多くおられる筈であり鉄拳制裁も時と場合によっては最も効果的な手段であると思っている方も少なからず居るようです。


 団塊の世代と言われる時代にはスパルタ教育とか往復ビンタは教育の一環であると思っていたので不思議でも無く痛みや辛さも慣れれば蚊に刺されたようなもので忍耐力や体力強化になったと思えるものでした。


 ともすれば理不尽な手法であると思えるし、現代っ子には受け入れなれないようであり第25話でも少し触れている事ですが「一方的なシゴキ=スパルタ」と認識されているようで「非科学的で何の根拠も無い」と思われているようです。


 人それぞれであるから強要するつもりは更々無いが指導の現場で【Sparta】を導入出来る指導者で有りたいと思っているし[指導の引出]には整理して入れて置く必要性が有ると思います。


 愛の鞭=鉄拳 とは言いませんがスパルタ指導に活かす鍵は「愛情」であり、断じて権力の鼓舞であるとかストレス解消であってはならない事は言うまでも無いが単にパフォーマンスとして取り入れるのであれば再考すべきであろう。


 愛情を持って導入すればトレーニング効果が促進する筈であり選手にも指導者の意図が直接的に伝わる利点も有る訳で職人の修業には不可欠な手法として受け継がれているのです。


 先進国の指導メソッドを学ぶ事は必然であり古い手法も見直されて然りであると思いますが現実的には最先端の手法が優先されてしまうのが現状である。


 温故知新の喩えもあるように新旧の手法と知識を理解して使い分ける事が出来れば臨機応変な対応が可能になるようです。


 何故なら人の成長は短縮出来る物ではなく経験に費やす時間も不可欠であり科学の粋を結集したとしても促成栽培はタブーなのである。


 スパルタトレーニングは選手同士で厳しい設定をしても甘えと妥協は拭えないものであり指導者のサポートとお互いの信頼感が不可欠な要素でもあります。


 一見、我武者羅な地獄の特訓のようでも人間の本能を呼び起こす雄叫びのような強さが育まれるものであり血の滲むようなトレーニングに挑む自分がそこに居るならば光明が見えてくるのである。


  《 Sparta = Overload Method 》 と解析するのも良いと思いますが限界値の測定は数字で表せる物ばかりではないので技量の定着は理屈抜きに体感して心と身体で覚えるのが常道であると思います。


 戦後のベビーブームに生まれた団塊の世代 〜 戦争を知らない少子化の世代に移り変わる時期に差し掛かっている訳で教育やスポーツの有り方も変革期を迎えていると言っても過言ではなく我々世代は「見守る指導に徹する」のが賢明であると思うのですが日本男児に質実剛健を求めるのは老いた証拠かも知れない。


                【生】のメモ「団塊の世代とスパルタ」より