S級の視線
                                    平田生雄

 第71回    遊びとゆとり


 パスやクロスで正確さを要求される事は当然であるがタイミングが変わる事によってプレーが一変する訳であり誰もが自分のプレーの中に[Good Timing]を模索している筈である。


 何気なく簡単に見えるパスやフィードを取り上げても受け手に易しいボールを供給しようと工夫している筈である。


 ドリブル突破やコンビネーションプレーを仕掛ける時も[Good Timing]が鍵を握っている訳であるが選手個々の状況に応じたタイミングは必ずしも一致しないものであり微妙なズレが生ずるものである。


 大半は意思の疎通とかコミュニケーションで解決出来るものですが共通意識の中に微妙なズレが存在しているので遊びとゆとりを活用して微調整することでプレーの精度の高まる筈である。


 ビルドアップとスルーパスを同じ観点で語るべきではないと思いますが技術・戦術を定着させる過程でプレーのタイミングとタメを工夫して欲しいと思うしゲーム形式のトレーニングで習得すべき事なのでミスは必然であると思われます。


 車を運転する人は理解し易いと思いますが車のハンドルに遊びとゆとりが無ければ運転し辛いし事故も増えるそうです。


 何気なくハンドル操作をしていますが遊びの無いハンドルを操作してみると有難味を実感出来るものでサッカーでも遊びとゆとりの無い試合は窮屈に感じるし事故の多い交差点みたいです。


 コンパクト・ダイレクトプレーが持て囃される近代サッカーが間違っている訳では無く履き違えてしまうと本末転倒してしまうのである。


 高い位置で相手ボールを奪い素早く攻撃出来ればリスクも無く誰でも理解出来るし、押し上げている相手の裏に弱点を見出して一撃を見舞うプレーも同様であるがリスクを回避したプレーを伝家の宝刀の如く振り回すものではない。


 マイボールを丁寧につないで展開するサッカー本来の美しさは何時の時代でも不変であると思うし理想的な攻撃をイメージしながら何度相手に奪われても未完成交響曲を奏でるのが選手であり見守るのがサポーターなのである。


 私は選手の育成に携わり生甲斐を感じていますが遊びとゆとりを感じていなければ良い仕事は出来ないものだと齢を重ねて気付いた次第である。