S級の視線
                                    平田生雄

 第73回 閑話 飛び蹴り


 “大立ち回り”で即座に浮かぶのはマン−Uの救世主とも云われるエリック・カントナの一撃が有名で、クリスタルパレス戦においてレッドカードを宣告され退場するカントナに痛烈な野次を飛ばしたパレスの熱血サポーターであるマシュー・シモンズに対してカンフーキックを見舞ったのである。


 さすがにこれには大きな批判を呼び約4ヶ月間の社会奉仕活動と1年弱の出場停止処分を言い渡されたのである。


 エリック・カントナの武勇伝には枚挙に暇がないので話題として取り上げる必要もないと思われます。


 もうひとつの“大立ち回り”とはクロアチアの英雄と慕われるズボニミール・ボバンが旧ユーゴ内戦勃発する前年(‘90年5月)のディナモ・ザグレブvsレッドスター・ベオグラード戦の終了後に放ったスタンドでの一撃である。


 旧ユーゴスラビア連邦の首都代表チーム同士の一戦はクロアチアの独立へのカウントダウンといった緊張した政治状況下で行なわれサッカーの領域を超えたものであったようです。


 “事件”は起こるべくして起きたものであり両軍サポーターの衝突は避けられない状況であったが鎮圧すべきはずの警官隊がディナモ・ザグレブのクロアチア人サポーターを狙い打って暴行を加えたのである。


 選手がサポーター同士の衝突に加わる事は有り得ないものですが子供にも暴力を振るう光景に堪り兼ねた温厚な愛国者セルビア人の警官隊に憤然と挑みかかって飛び蹴りを見舞うという前代未聞の“大立ち回り”を演じたのである。


 その代償は9ヶ月間の出場停止であり‘90年イタリア大会も棒に振ってしまったが「我コトニオイテ後悔セズ」と語るボバンはクロアチア国民の心を代弁したものであり「義ヲ見テセザルハ勇無キナリ」日本の武士道にも通じる人として為すべき道をボバンの一撃で再認識させられました。


 紛争は民族・宗教の違いや利権が絡んで武力に及んでしまう訳ですがバルカン半島のブラジル(クロアチアというより旧ユーゴスラビア連邦)と称された美しいサッカーが失われるとしたらサッカー界にとって甚大な損失でもある。


 ‘92年にクロアチアは独立を認められましたが国境近くのスーケルの生まれ故郷でもあるオシエクの町にはスコールのような砲弾が降り注ぎ生々しい傷跡は今でも残っているようで山野には無数の地雷が埋まったままなのです。


 ボバンは新天地[ACミラン]に活路を見出してチャンピオンズカップ優勝や4度のスクデッド制覇に貢献してクロアチアの人々を励まし続け‘98年のフランス大会ではボバンを中心にクロアチアは快進撃を続けたのである。


 炎天下の中で日本との死闘をスーケルの一撃で予選リーグを通過して決勝トーナメントではルーマニア・ドイツを撃破して準決勝でホスト国に敗れはしたものの3位決定戦では強豪オランダを下し得点王に輝いたスーケルと共に、戦禍の中を生き延びてきたクロアチア国民に喜びと希望を与えたのである。


 今大会でもクロアチアと同組になり、くしくも第2戦は決勝トーナメントに向けて天下分け目の一戦になりそうである。


 痛ましい内紛から解放された400万人のクロアチア国民に平和が訪れて欲しいと願っているし、今やお馴染みになったシャホヴィニツァと呼ばれる赤と白のチェック模様のユニフォームに身を包んだクロアチア代表の[Nogomet=Football]に美しさと力強さが戻ってきた事にエールを送りたいものです。


 クロアチア共和国の事を検索しているとネクタイのルーツ(Cravat)にも辿り着いてアドリア海に面した風光明媚で豊かな美しい国のようで私の生まれた瀬戸内が思い出されて近親感を覚えました。


暴力は決して許される行為ではないのですが平和と勇気を与えてくれたボバンの一撃には心から敬意を表する次第である。