S級の視線 |
平田生雄 |
第8回 【たかが・・・されど・・・】 欧米のサッカー事情や環境について語れば「歴史が違う」に落ち着きそうで「無い物ねだり」になってしまいそうである。 しかし、日本の少年サッカーの普及・育成の活動は目覚しい進展を遂げている事はJ−リーグ誕生やW−Cup出場や開催国になった事でも証明されている。 少年期のレベルで計れば日本は世界の水準に達しているが、ユース年代から代表クラスでは、格差が有るのは何故だろう? 今までに何度となく聞かされた質問である。 日本ではサッカーの好きな子供がクラブに入って練習するが欧米のクラブでは、上手くて向いている子供が練習する。結論では無いが核心を突いていると思う。 世界標準では、各カテゴリーは2歳毎に区切られていて、次のステップに行くには必ずテストという関門がある。 それを目指してテストを受けに来る子供も、数多く居る事も事実である。 テストに受かる子供の影には必ず切られる子供が居るのだ。 弱肉強食の環境で、クラブは無駄を極力省く。非情に思えるが生き残る為には必然なのである。 このような積み重ねが[差]となっているのである。 高浜FCや町のクラブに、求めている事では無いのであるがJ−クラブは、諸外国の模範の模倣から育成年代を運営していのであるから10年の蓄積は[差]となって当然であると思うし日本の強化育成の指針となって然るべきである。 日本の現状は「似て非なり」であるし、町のクラブのチームに[差]をつけるどころか貧相なゲームプランに終始する場面を見るにつけ一抹の寂しさを感じるのは私だけでしょうか? 「たかがサッカーではあるが、されどサッカーでもある」 ちなみに、巨大名門クラブで育成した選手より田舎の選手が「Dream come True」を実現したケースは数多く見受けられるし、Peleも田舎(ミナス州)から夢を抱いてサンパウロFC等のテストに落ち、サントスFCで合格して、2年後にはW−Cupで大活躍して歴史に名を残した。 たかがサッカーなれどされどサッカーなのである。 「努力は人を裏切らない」 夢を持って楽しみながら挑戦する意欲を忘れなければ「夢が実現するかも」がサッカーなのである。 |