S級の視線
                                    平田生雄

 

第84回    純粋な瞳


 サッカーの指導を30年余り続けていると子供達の為に培ってきた自分の経験を子供達に解り易く伝えたくなるものです。


 私も指導する事に燃えていた頃は子供達から求められると磁石に吸い寄せられるように知っている事なら何でも教えたくなる時期が有りましたし余分な事まで教えてしまったりしたものです。


 幼児・心身障害者からユース年代・指導者育成と幅広く指導をさせて戴きましたが機会と齢を重ねて指導の有り方も自分なりに構築されて来るものです。

 
 セピア色のサッカーノートに鉛筆で添削した痕跡が残っている。

 
 データや資料はディスクに収めると整理し易いようですがアナログな我々の頭脳には大切な資料であり使い勝手の良い玉手箱なのです。


 私のノートに記されている指導プログラムの添削等々については子供達は何を望んでいて何が欠乏しているのだろうか云々・・・である。


 確かに仕事との関連性は否定出来ないのですが、子供好きであり純粋な瞳に魅せられてジュニアサッカーの育成が肌に合っていると感じたものです。


 最初にも触れましたが若気の至りで指導者の端くれとして認知して貰おうと教える事が指導だと誤解してしまうものです。


 子供達から学ぶ事を忘れてはならないと感じた時、自分の子供の頃を思い出してみて白いキャンパスには他人に描いて欲しく無いと思った自分が居た。


 拙い絵でも自分で描きたいものですよね。


 上手に描くって配色・構図とか大人が勝手に決め付けてはいけないと気付かない指導者は反省しなければならないと思います。


 何故なら自分自身がそうであったから反省の上に立って自分の指導に赤ペンする楽しみが増えたものです。


 上手くなる薬は無いと言いますが出来れば最短の手法を最良の体験を通して身に付ける事が出来れば良いのでしょうが焦って必要な事を積み残してしまったりしないで欲しいと願っている。


 純粋な瞳で描いたフットボールを見たいものである。


 改善・添削も自らの手で出来るように最小限の指導に止める最善の指導が出来る指導者で有りたいと自信の研鑽に努めたいと思います。