第1回全日本ジュニアユース選手権 (高円宮杯) 記録
主催 日本サッカー協会 第三種大会
1989年12月

☆ 愛知県代表決定戦
  (愛知県の代表決定方法はクラブ、学校の上位2チームによるトーナメント)
   準決勝  高浜FC(クラブ1位)   2−1   弥富北中(学校2位)
   決勝    高浜FC           1−0   豊正中(学校1位)
    ☆ 愛知県代表として東海大会に出場決定

☆ 東海地区代表決定戦
   準決勝  高浜FC(愛知県代表)  3−3(PK4-3) 蘇原中(岐阜県代表)
   決勝    高浜FC            0−1       袖師中(静岡県代表)
    ☆ 東海地区第2代表として全国大会に出場決定

☆ 平成元年度 全日本ジュニアユース選手権
12月23日 一回戦    高浜FC(東海地区代表)   3−2  応神中(四国代表)
   24日 準々決勝  高浜FC             2−1  久御山中(関西代表)
   25日 準決勝    高浜FC             0−7   東海大第一中(全中優勝枠)
     「第3位」  (23、24日は神戸中央球技場、25日は神戸総合運動公園競技場)
     
☆ 主な出場選手
 GK 杉浦友和(碧南南A)
 DF 杉浦慎一朗(高浜南B) 斜木 敦(高浜B)
 神谷直人(高浜南A) 杉浦晃三(高浜A)
 MF 杉本幸倫(碧南南B)
 向井秀喜(高浜南A) 杉浦隆司(高浜A) 石川琢也(高浜A)
 FW 杉田政博(高浜B) 江川直文(高浜A)
 Sub 森誠司(高浜A) 若山勇(碧南南A) 安井辰夫(高浜A)  ( )内の○数字は学年
 
 
大会を楽しんだ
高浜FC 大林利達
 改めて言うまでもなく、今大会が実施された意義は極めて大きい。
クラブチームの一員としては、多くの人々に観戦していただける機会が増え「クラブチームも悪くないじゃないか」と思っていだければうれしい。
 高浜FCとしては、記念すべき第1回大会に出場できたことはクラブの大きな財産になるだろう。

 まだこの種の催しが「クラブと学校の対決」という目で見られがちだが、ごく自然に「第3種のチャンピオンシップ」という見方がされる様になった時、日本のサッカーも一歩前進するのではと思う。
もう「クラブだ、学校だ」と言っている時代ではないというのが私見だが、高浜FCの所在する愛知県では昭和56年にクラブ連盟が組織された時から、クラブ、学校の上位チームの対戦という形式の大会が実施され、62年度よりクラブ、学校を問わず第3種登録チームによるトーナメントが実施されている。我々は優れたリーダー(愛知県中学生連盟)に従って活動しているだけだが、他県の状況はどうであろうか。従って今大会においても学校チームとの対戦だからと意識過剰になることもなく、おそらく選手も、単に「強豪チームとの対戦」という自然な気持ちで大会に臨めたのも好成績の要因のひとつだと思う。

 さて準決勝で東海大一中に完敗したものの、愛知県予選に始まった今大会をもっとも楽しんだのは高浜FCではなかったかと思う

 クラブ、学校の上位2チームで行われた県大会では、クラブチームの1位として出場し準決勝を延長の末2−1。決勝戦は1−0辛勝。4県の代表で行われた東海大会の準決勝は3−2で逆転勝ち。と思ったら終了直前に同点にされ延長戦。延長も決着がつかずPK戦で辛うじて勝ち、決勝では0−1で敗れたものの、東海地区の出場枠が2ということで本大会への出場となった。

 本大会の1回戦の応神中戦は前半1−0とリードしたが、後半は1−1、2−1、2−2、3−2というスコアの流れ。久御山中との準々決勝は前半0−1、とリードされたが、後半2−1と逆転。逆転ゴールは終了3分前。「ツキも実力のうち」と言うがツキはツキである。実際何度ツキに救われたことか。ただ、ここまでやれたのは多少の実力があったからかな、とも思う。

 もうクラブだ、学校だ、という時代ではないと書いたが、チームとして見れば高浜FCは典型的なクラブチームである。それも読売クラブに代表されるような組織も施設も充実したクラブではなく、人口は3万人そこそこの小さな町の、選手の質も量もたかが知れた、大した組織力も自前のグラウンドもないささやかな「町のクラブ」の典型である。

 言わばないないずくしのようなクラブや選手であるが、「周りを見ろ、頭を使え」と気長に言い続けてきた。機敏でない子が、ボールを止めて周りを見回す。相手のプレッシャーはきつくピンチを招く。私はもう慣れっこだが、観戦の父兄は「心臓に悪い。胃が痛い」と嘆く。それでも時として、ベンチにいる私が舌を巻くほどの展開を見せる。約束事をなぞったり、あてずっぽうででなく、瞬時に良い判断をするからだろう。強豪チームがお手上げになる瞬間である。

 勝負にこだわり過ぎて生じる損失を恐れ、負けてもよいとは思わないが、勝負には必要以上にこだわらずにきた。もし私にコーチとして取り柄があるとしたら、自分本来の性格である短気で飽き性なところを「気長に、気長に」と努めていることぐらいなものだろう。
 そうやって育ててきた子たちである。サッカーは体が小さく足が遅くても、ある程度はやれる。改めてサッカーというスポーツは「見るのもやるのも楽しいスポーツだ」と実感した。

 今大会に出場しての収穫はいくつかあるが、最大の収穫は自分たちの進めてきたサッカーにそう大きな間違いはなかったという確認が出来たことだと思う。
 高浜FCのようなクラブにとって、この次この大会に出られるのはいつのことかと考えると気が遠くなるが、クラブ、学校を問わずこの大会が大きな目標になったことは間違いないと思う。
 大会関係各位には今回のご尽力にお礼申し上げるとともに、恒久的に開催して頂けるようお願いして拙文を終えたいと思う。                    
                     (財)日本サッカー協会機関紙 サッカー 1990年3月号
掲載